2018年12月31日_ボヘミアンラプソディー
平成最後の年末はすっかりフレディ沼にハマってしまった。例の映画のせいで…。映画として面白いかどうかは置いといて、フレディの人生そのものがドラマチックなので、それをなぞるだけで映画が成り立ってしまうのだった。そして聴き覚えはあるけど何を言ってるか判らなかったQueenの音楽は、歌詞を字幕で見せることで、we are the championsもwe will rock youも全てフレディ自身のことを歌っているように聴こえるのでした。借りたCDは←これも含めて10枚以上。コアなファンは「だって本物のほうがいいに決まってるじゃない」と言って映画を観ない人もいるとのこと。そんなこと判ってますよ。でももう本物はこの世にいないので、フレディ無き世界に住む我々は映画で充分満足なのでした。
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2018年11月4日_近頃の戦利品
ここ1か月で購入したCD/画集/写真集ですが、どれも1980年〜90年代の遺品を再構成したもの。
若い頃は「『昔は良かった』なんて言う年寄りになんかなりたくないわ」と思っていたのに、今そうなりつつあるのを実感。ああでも、私にとってはどれも愛おしいのであった。ひとつひとつが私の青春そのもの〜と歌いだしたくなるような。
だからといって「あの日に帰りたい」なんて思っているわけではない。あの頃持っていなかったものを今は手に入れているわけで。新しい音楽や芸術が一つも魅力的でないとは言わないけれど、これら←が最近発売されたって事は、実は今の世の中もこれらを欲しているって事なんじゃないか。
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2018年9月16日_ヨルク・シュマイサー
学生の頃、お金も無いくせにやたらと高い画集や写真集を買っていたものでした。PARCO出版のヨルク・シュマイサー銅版画作品集もそのうちの一冊。3,500円と30年前当時の学生にとっては高額なのに躊躇なく購入し、今も大切に我が家の本棚に。
そんなヨルク・シュマイサー没後初の回顧展を観て来ました。ドイツ人でありながら清水寺や紫禁城など東洋的な主題が多いけれど、実は木版画を勉強するために京都芸大に留学していたこと、奥さんが日本人であることなどを初めて知りました。このチケットに採用された絵は←南極のモーソン基地なのですが、なぜか日本の絵巻物のように見える不思議。
シュマイサー作品の魅力は、絵の中に花や植物/貝殻/骨など小さな美しきものがちりばめられていること、クセのある読めない文字(英語の日記らしいけれど)、デザイナー心をくすぐる大胆な構図、全てが私の好みのタイプなのでした。
旅する版画家らしくスケッチに必要な道具を←こんな風に持ち歩いていたという。左上のサインもカッコいいではないか。あまりのカッコ良さに図録を買ってしまいました。図録に寄せられたロジャーパルバース氏の文章も、クスリと笑えるちょっといい話なのでした。
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2018年8月12日_すばらしきかなiPodshuffle
前回に引き続きappleさんへの提言です。←これらの品はapple製品ではない。ああそれなのに、こんなものが売ってるなんて!と感動してAmazonで購入。音にこだわりのない私には充分これで満足です。ところで最近のapple storeでは、なんとドローンが売られているのですな。一体どこへ行こうとしているのか。appleさんよ。
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2018年7月17日_賞賛マイティマウス
マイティマウスはもうapple storeで売ってないと知り、慌てて購入。バルク品でした。←下の方がコードが短いのが判りますでしょうか。でも私にはこれくらいの長さがちょうど良いかと思います。コードレスマウスも使ってはみたけれど、電池が切れるのが早過ぎる、重くて手の甲が痛いなど不満だらけ。やっぱりマイティマウスの使いやすさには敵わないのでした。appleさんよ。お願いだから良いものを捨てないで。iPodnanoもiPodshuffleも良品だったのに。どうかユーザーを弄ばないで、appleさんよ。
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2018年6月16日_読みたい本
「音楽嗜好症」は2年くらい前に買った。大変面白いけれどなかなか読み終わらない。難しくて…。そこに誕生日に貰った「1984」が追加される。冒頭だけ読んで「コレは確かに未来世紀ブラジルっぽい」と納得。近藤誠の「健康診断はよろしくない」というような本も読みたいと思っている。読む時間が無いから買わないでいる。いや、けして読む時間が無い訳ではない。また、たとえ内容が難しくても、難しい所は読み飛ばして面白いとこだけ拾い読みするのは得意だったはずだ。以前は。このところ現実世界の心配事が多くて、活字が頭に入ってこない。落ち着いて読書が出来る精神状態に戻るまでは、おあずけなのだった。
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2018年5月12日_ウチの猫シラス
雑誌ananで猫特集をやるので読者からの猫写真を募集してることを知り、ウチの猫の写真を投稿してやろうと思いたち、このゴールデンウィークは過去の大量の写真を見ていましたが、結局出さなかったのでした。んーどれも今ひとつだったので。
ウチに来たのは2014年。つまりもう4歳になったわけですね。シラスという名前を付けるきっかけになった←この写真。忘れないようにここに載せておきます。可愛かったあの頃。
不思議なことに、シラスさんは昨年4月頃から玄関でウンコをするようになりました。それまではちゃんとトイレでしてたんですけどね。掃除が楽だから別にいいんですけど、一体どんな心境の変化なんでしょうね。
そして←これ。姿勢が悪いというか体が歪んでいるというのか。ちゃんと座ることもできるのに、気を抜くとこうなってしまうみたい。なんかもう千鳥風に言うなら「クセがすごい」。今までいろんな猫と暮らしてきたけど、こんな猫は初めてですね。
「おれ、ねこ」にも投稿したいなと思ってたんですが、このヒト(猫だけど)の面白さは写真では伝わらないなと判断することに。発表意欲も徐々にフェイドアウトしています。
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2018年4月8日_青野文昭展とその図録
昨年9月に吉祥寺で観たこの展示は本当に素晴らしかった。そもそも青野文昭という造形作家の存在はそれまで全く知らなかった。
“「修復」をテーマに「壊れたもの」を拾い集め、その欠損部分を自らの知識と想像力によって「なおす」というスタイルで制作・発表をしている。”という、チラシに書かれた文章に惹かれて観に行ったのでした。
今頃になって図録が届いたので改めて確認してみるが、この面白さは写真ではなかなか伝わりづらい。図録の完成が大幅に遅れたのはそのせいなのか?
←このタンスで囲まれたお部屋の内部は、他人の家のにおいが染み付いていることもあり、モノから人の存在を強く感じる不思議空間であった。カッコ良くもなければおしゃれでもないこの空間に、なぜ魅力を感じるのか。自問自答を続けている。
そして、図録に書かれた保坂和志氏の文章がまた面白くて、さらに打ちのめされる。保坂氏の書籍はウチにも何冊かあったはず、と本棚を漁ってみる。保坂氏もまた「何が面白いのか」うまく表現できないけれど、私が面白いと感じている作家のひとりであった。
図録の文章は、青野展とは全く関係無いようでいて実は同じことを言っていると感じる。ここに書かれた「残響」という本も読んでみたくなった。「この人の閾」は持ってなかったっけ。また本棚を漁る。そして書店へ走るのであった。
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2018年2月11日_人生3本立て
昨年の今頃はDavid Bowie isでボウイの足跡を振り返ったけれど、アレ以来、死ぬ前に人生を振り返るのが流行っているようで…。といっても、この人たちはまだまだ死にそうにありません。
「デビッドリンチ:アートライフ」はリンチの生い立ちから映像作家に至るまでのことを本人が語るドキュメンタリー作品でした。最初の長編「イレイザーヘッド」の撮影中に父親が尋ねて来て「映画なんか止めてちゃんと就職しなさい」と言われ、家族の無理解を思って泣いた。というエピソードが披露されています。リンチほどの人でもそんな目に遭うんだな。みうらじゅん氏も「美大に入ったらアイツらを見返してやる」というような詩を残していました。若い頃の葛藤がアーティストを育てるのだなと再確認しました。
ところで谷川俊太郎氏はというと、もう次元を超えているというか、既に悟りを開いている、まるで仙人みたい。詩人とはそういうもの。この人の前では何を言ってもくだらなく思えて、なんだか無口になってしまいそうだなと思いました。
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2018年1月13日_ナチスのデザイン
松田行正氏の本「REDヒトラーのデザイン」を本屋さんで立ち読み(スミマセン!)してたら←これらについて言及していたので、慌てて家へ帰って本棚の奥からお宝を引っ張りだしてみました。左下:1983年YMO散開コンサートのツアーパンフ。右下:散開後に発売されたYMO写真集。上:その写真集に挟まっていた、散開後に公開された映画「プロパガンダ」のチラシ。えーとこれワタクシ全部観ましたのですが…。当時中3だった私にとってはとにかくカッコいい意外の何者でもなかった。でもこれ今やったらアウトなんですね。散開ツアーの舞台セットはまさにナチスの演説台を思わせるもので、映画の最後にはこのセットを砂浜で燃やしてましたね。それは後にこうなることを予測してのことだったのでしょうか。また、今朝のワイドナショーでは、年末の「笑ってはいけない」でエディマーフィーに扮した浜ちゃんを笑ったことが黒人差別にあたる云々を安藤優子さんが解説してましたね。 これもまた同じ穴のムジナ。松ちゃんは「そんなつもりじゃ」と言いたげでしたが…。もう「盗んだバイクで走り出す」ような歌は歌っちゃいけないのかな。作り手は自分で自分の首を絞めているだけなのかな。正月早々考えさせられました。
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